HOME > コラム > コロナ差別について

コラム

< Prev  |  一覧へ戻る  |  Next >

コロナ差別について

前回のコラムで、日本文化がCOVID19の感染拡大を抑えるのに役立っているようだという内容のことを書きました。
日本の文化は接触が少なく良い効果を生んでいると思います。

また、罰則のない自粛要請にほとんどの人が従い、かなりの効果を生んでいるのも日本の誇る文化の一つではないでしょうか。

しかし、最近の報道やネットの声や町の声(友人、知人の声)を聞いていると、感染した人、自粛していない人/店などに対して、かなり厳しい言葉が浴びせられているように思います。

日本語文化と英語を始め多くのヨーロッパ語文化の大きな違いとして、集団主義と個人主義の違いが挙げられます。
私なりの解釈ですが、英語やその他のヨーロッパ言語を話す国の人々は、自分の言いたいこともしっかり言う代わりに、他人の言っていることもしっかり聞く傾向があるのではないかと思っています。
例えていうならば、みんなが手に剣をもって振り回していて、なぜ振り回すかというと、振り回すことで自分の武器が届く範囲をそれぞれが知らせている感じです。個人の精神的スペースが広いので、距離をもってお互い振り回す分には争いが起きることはあまりありません。

それに対して、日本語の文化は、それぞれが自分の意見をあまり言わないようにしている代わりに、回りにも意見を言わせない傾向を感じます。
同じように例えるなら、日本ではそれぞれの精神的スペースが近く、自分の剣を出してきて振り回そうものなら、意図せずに前後左右の誰かを傷つけてしまうので、お互いが持っている武器を懐にしまったまま我慢しているといったところでしょう。

そうなると、自分たちが我慢しているときに我慢できない人がいると、その人を全員で非難することになります。
皆同じ苦しみを味わっているのだから、我慢できないのはおかしいと思うのでしょう。

確かに、回りに迷惑をかけることはよくないことですが、見ず知らずの詳しく事情も知らない人の行動に関して集団で糾弾することも、決して好ましいことではないのではないでしょうか。

インターネットの出現で、もともと自分の意見をあまり言わない国民が意見を言えるようになって、少し良くない方向に向かっている気がします。
そもそも私の考える「意見を言うという事」の理由は自分の武器が届く範囲を他人に教えるというためで、そのためには自分がだれで、どこに立っているか分かる状態で言うべきだと思うのです。

全世界に広がる感染症なだけに、世界の文化も試されているのかもしれません。日本の誇れる文化は守りたいものです。

< Prev  |  一覧へ戻る  |  Next >

PAGE TOP