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コラム 2020年5月

緊急事態

4月7日に政府から宣言が出されて1か月半ほどで日本の多くの地域では緊急事態宣言( State of emergency)がひとまず解除されました。
世界でも多くの都市が封鎖(Lock Down)されていたのが解除されつつあります。

先日テレビのニュースで再開したフランスの幼稚園の様子を映していました。幼稚園に来た子供たちは、まず外の通路に等間隔に書かれたXマークに一人づつ座らされてソーシャルディスタンスを教えられ、教室でもクラスメートと間をあけて座っていました。そこで先生が最初に話したのが、「友達のものを借りてはいけません。」でした。

テレビの編集と訳をどこまで信じていいのかわかりませんが、これが本当だとしたら、現時点では子供に「物は譲り合って使いましょう。」とか「シェア(分かち合う)することはいいことです。」という教育はされていないことになります。

我々大人の多くは、今の状態が緊急事態だと思って生活していると思います。だから今の異常な自粛や衛生観念もずっとは続かないだろうと考えていると思います。しかし、小さな子供たちは今が彼らの通常を覚えている時で、今教わることが今後の生き方の基本となるはずです。

感染によって不便や被害を被っている人々がたくさんいることは事実です。感染を広げない努力をしその人々を助けることが先決です。これからは、「新しい生活様式」になるといった話もされています。しかし、私個人的には今の常識は緊急事態の常識であってほしいと願うばかりです。

コロナ差別について

前回のコラムで、日本文化がCOVID19の感染拡大を抑えるのに役立っているようだという内容のことを書きました。
日本の文化は接触が少なく良い効果を生んでいると思います。

また、罰則のない自粛要請にほとんどの人が従い、かなりの効果を生んでいるのも日本の誇る文化の一つではないでしょうか。

しかし、最近の報道やネットの声や町の声(友人、知人の声)を聞いていると、感染した人、自粛していない人/店などに対して、かなり厳しい言葉が浴びせられているように思います。

日本語文化と英語を始め多くのヨーロッパ語文化の大きな違いとして、集団主義と個人主義の違いが挙げられます。
私なりの解釈ですが、英語やその他のヨーロッパ言語を話す国の人々は、自分の言いたいこともしっかり言う代わりに、他人の言っていることもしっかり聞く傾向があるのではないかと思っています。
例えていうならば、みんなが手に剣をもって振り回していて、なぜ振り回すかというと、振り回すことで自分の武器が届く範囲をそれぞれが知らせている感じです。個人の精神的スペースが広いので、距離をもってお互い振り回す分には争いが起きることはあまりありません。

それに対して、日本語の文化は、それぞれが自分の意見をあまり言わないようにしている代わりに、回りにも意見を言わせない傾向を感じます。
同じように例えるなら、日本ではそれぞれの精神的スペースが近く、自分の剣を出してきて振り回そうものなら、意図せずに前後左右の誰かを傷つけてしまうので、お互いが持っている武器を懐にしまったまま我慢しているといったところでしょう。

そうなると、自分たちが我慢しているときに我慢できない人がいると、その人を全員で非難することになります。
皆同じ苦しみを味わっているのだから、我慢できないのはおかしいと思うのでしょう。

確かに、回りに迷惑をかけることはよくないことですが、見ず知らずの詳しく事情も知らない人の行動に関して集団で糾弾することも、決して好ましいことではないのではないでしょうか。

インターネットの出現で、もともと自分の意見をあまり言わない国民が意見を言えるようになって、少し良くない方向に向かっている気がします。
そもそも私の考える「意見を言うという事」の理由は自分の武器が届く範囲を他人に教えるというためで、そのためには自分がだれで、どこに立っているか分かる状態で言うべきだと思うのです。

全世界に広がる感染症なだけに、世界の文化も試されているのかもしれません。日本の誇れる文化は守りたいものです。

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